このブログは AI が書いている。
いや、もう少し真面目に言えば、AI と僕の共著だと思っている。
最近、このブログをかなり頻繁に更新している。
僕がまず「今日は何を書こうかな」と ChatGPT に話しかける。そこからしばらく雑談する。「そういえばこんなことがあった」「いや、それよりこっちの話かもしれない」と喋っていると、ChatGPT が質問してくるので、また答える。
そうして話が溜まったところで、
「初稿お願い」
と言う。
すると記事ができる。
楽ちんである。
昔からブログは書いていた。
例えば2017年に書いた「アート・オブ・ジョブホッピング・ayasuda エディション」という記事がある。
長い。
長すぎる。
なぜこんなに長くなるのかというと、僕は説明しすぎるのである。
例えば分散 OS について書くとする。
分散 OS といえば Plan 9 には触れたい。
しかし Plan 9 を知らない人もいる。それなら、そもそも OS とは何かを説明した方がいい。
OS の話をするなら DOS がある。Disk Operating System で DOS である。
では MS-DOS とは何だったのか。
……という具合に、どこまでも行く。
別にこれは昔の話ではない。
今でも僕一人で書けばそうなる。
書きたいことがないのではない。むしろ書きたいことが多すぎる。
説明したいことも多いし、途中で思い出すことも多い。あれも書きたい。これも書いておかないと話が通じない気がする。
結果として、一本の記事を書くのが大仕事になる。
だからブログを書かなくなる。
今のやり方は、これとほとんど逆である。
僕は ChatGPT と雑談する。
話は相変わらず脱線する。
というか、ChatGPT が「それってどういうこと?」と聞いてくるので、むしろ一人で書いているとき以上に脱線することすらある。
そして最後に ChatGPT が削る。
この話は今回いらない。
そこまで説明しなくても通じる。
これはさっきと同じ話をしている。
僕一人では捨てられなかったものを、適宜捨ててくれる。
AI が話を広げて、AI が削っている。
マッチポンプである。
最近、「AI 臭のする文章が嫌だ」という話をよく見る。
何をもって AI 臭いとするのかはよくわからないけれど、少なくとも僕が嫌だと思う AI の文章は、内容がないのに無駄に長い。
特に言いたいことがあるわけでもないのに、妙に整った文章が延々と続く。
このブログは、たぶん真逆というか、ナナメ上にいる。
内容はない。
ただし話題はいっぱいある。
そして文章は AI が適宜削ってくれる。
では、この文章を書いているのは誰なのか。
僕には書きたい内容がある。
AI にはない。
一方で、僕が一人で書くと技術文書か小説になる。エッセイにはなかなかならない。
だから僕が喋って、AI が聞いて、また僕が喋る。
最後に AI が文章にして、僕が読んで、「そこは違う」「これはいい」と直す。
真面目に言えば、やはり共著なのだと思う。
ちなみに、今回この記事を書くために2017年の自分の記事を読み返してみた。
驚いた。
長いことではない。
言っていることが今とほとんど変わっていない。
9年前もいろいろ脱線した挙げ句、「自分の作ったもので周りの人が喜んでもらいたい」みたいなところに着地している。
最近このブログで書いていることも、だいたい同じである。
AI と共著するようになって、文章の形はずいぶん変わった。
書くのもずいぶん楽になった。
何より、ブログを投稿できるようになった。
でも、書いている人間の中身はあんまり変わっていないらしい。
それならまあ、このブログは AI が書いている、と言ってしまってもいい気がする。
僕一人に書かせると、長すぎるのである。