Zenn で、こんな記事を読んだ。

AIで生産性が3倍になった私たちが、チームを置き去りにした話

AI を使うことで自分の生産性が上がった。しかし、チームとの間に差が生まれてしまった。どうすればチーム全体で AI を活用できるのか。

そんな話である。

読んでいて、なんとも言えない気持ちになった。

若いんだろうなぁ。

いや、馬鹿にしているわけではない。むしろ眩しい。

特に、

「生産性が3倍になった」

というフレーズが眩しい。

たぶん本当に3倍になったのだと思う。AI を使えば資料は速く作れる。コードも速く書ける。調査も速くなる。僕自身、AI を使っているので、それはよくわかる。

ただ、おじさんになると「生産性が3倍になった」と無邪気には言えなくなってくる。

生産性って、なんだ?

記事には「作っても、定着しなかった」というブロックがある。

実に象徴的なエピソードである。

AI を使って業務改善のためのアプリを作った。しかし、チームには定着しなかった。

ここだけ切り取ると、実に単純だ。

工数をかけた。

使われなかった。

アウトカムはゼロ。

ROI はマイナスである。

ところが、記事ではこの出来事を「なぜチームは AI を使いこなせないのか」「どうすれば自走してもらえるのか」という方向から分析していく。

僕はそこで思った。

お客様がいない。

ここで言う「お客様」は、別に会社の外にいるエンドユーザーだけではない。

同僚でもいい。部下でもいい。チームでもいい。

業務改善アプリなら、それを使う人がお客様である。

その人たちが使えない改善アプリを、どれだけ速く作っても、チームの効率は上がらない。

作った本人の効率が上がっただけである。

「生産性が3倍になった」という言葉から、個人目標しか見えていないことが透けて見える。

流行りの言葉で言えば、視座が低い。

でも、それが若くて良い。

たぶん色々経験していけば、そのうち勝手に視座は上がっていく。

僕もおじさんなので、最近は逆の経験をした。

具体的なことは書けないが、あるプロジェクトで関連部署と調整をして、実作業者のメンタルケアをして、そろそろ第一弾のカットオーバーかな、というところまで来ていた。

みんな、かなり仕事をした。

そこで僕はプロジェクトを止めた。

この先へ進むと後戻りができなくなる。

しかし、おそらく完遂する予算がない。

なら、今しか撤退できない。

山登りで言えば、登頂目前でもなんでもないのに、散々登ったところで「帰ります」と言うようなものである。

当然、それまでに使った工数は戻ってこない。

成果物も出ない。

生産性という観点では、見事なマイナスである。

しかも、止めると決めたのは僕なので、腹を切るのも僕である。

関係者にごめんなさいをして回る。

評価も下がる。

これがおじさん力である。

Ojisan Power。略して OP とでも呼ぼう。

ただ、それでも止めるのが仕事だった。

作ったものを世に出すことが成果とは限らない。

速く作ることが成果とも限らない。

時には、みんなが頑張って作ったものを世に出さないと決めることが、一番マシな選択になる。

そういう仕事を何度かすると、「生産性が3倍になった」という言葉が、だんだん使えなくなってくる。

誰にとって?

何が良くなった?

それ、本当に必要だった?

そんな面倒なものが後ろにくっついてくる。

ちなみに、僕がプロジェクトを止めて、ごめんなさいをして回ったとき。

チームのみんなから慰められた。

つまりこれは、

OP で生産性がマイナスになった僕が、チームから慰められた話

なのである。

なお、評価は下がった。