東大松尾研が嫌いだ。

いや、正確に言えば、別に松尾豊先生に何かされたわけではない。松尾研の研究内容を追いかけて批判したいわけでもない。

単なる嫉妬とやっかみである。

最近、「東大松尾研出身」という肩書きのついたベンチャー企業をちょくちょく見かける。

そして、なんとなく持て囃されているように見える。

もちろん、見えるだけである。

実際には事業内容をちゃんと評価されているのかもしれないし、投資家もそんな馬鹿ではないだろう。そもそも東大に入って松尾研に所属して、そこから起業するような人たちなのだから、普通に優秀である可能性は高い。

でも、なんかムカつく。

「東大松尾研出身」というブランドだけで評価されてない?

という気持ちになる。

完全に僻みである。

そして僻み始めると、人間というのはよろしくない。

そのうち僕は、

「そもそも、言うほど AI の専門家なのか?」

などと考え始めた。

これはもう、かなり難癖に近い。

松尾豊先生がずっと人工知能を研究してきた先生なのは知っている。

ただ、僕が人工知能というものを横から眺めてきただけでも、この二十年くらいで随分と様子が変わった。

集合知プログラミングがあった。機械学習があった。TensorFlow が出てきた。Google BERT が出てきた。

この辺りまでは、まあ、なんとなく連続しているような気もする。

でも GPT-3 くらいから、一気に世界が変わりすぎじゃない?

Transformer があって、LLM があって、生成 AI があって、今では何でもかんでも AI である。

「ずっと AI を研究してきました」と「生成 AI の専門家です」は、本当に同じなのだろうか。

松尾先生の専門って、本当に”生成AI”なんです?

などと考えていた。

繰り返すが、難癖である。

そんなことを考えながら、僕はふと思った。

僕は、もっと真面目な研究者が好きなのだ。

いや、真面目というのもちょっと違う。

真面目に研究しているんだけど、その中に妙なジョークが入っているような研究者が好きなのだ。

そういえば、昔から大好きな日本人の論文がある。

「なぜ私たちはいつも締め切りに追われるのか」という論文だ。

締め切りまでの精神的なゆとりを「ネルー」という単位で定義して、人間がなぜ締め切り直前にならないと仕事をしないのかを大真面目にモデル化している。

ちゃんと数式がある。

ちゃんと考察もある。

そして、ふざけている。

こういう論文が僕は好きなのだ。

こういう研究をやる人がもっと評価されればいい。

松尾研出身という肩書きだけで持て囃される人より、こういう面白い研究をちゃんとやっている研究者が報われてほしい。

そう思って、久しぶりにその論文を探した。

見つけた。

「なぜ私たちはいつも締め切りに追われるのか(Why are we always under deadline pressure?)」

懐かしいなあ、と思いながら著者名を見る。

松尾 豊。

……。

ウッソだろ!?

松尾先生じゃねえか!?

いやもう、本当に申し訳ない。

僕が「こういう研究者こそ評価されてほしい」と十何年も前から思っていた研究者が、松尾豊だった。

別に松尾先生は悪くなかった。

というか、むしろ昔から好きだった。

それでも、「東大松尾研出身」を看板にしているベンチャーを見ると、今でもちょっとムカつく。

たぶん、これはもう仕方がない。

嫉妬もするし、僻みもする。

ただ、嫉妬と僻みをこじらせて「そもそもあの先生は本当に専門家なのか」などと難癖をつけ始め、その挙げ句に自分が昔から好きだった論文を持ち出したら本人にぶつかった。

さすがに格好が悪い。

僻みも嫉妬も程々にしておこう。

人の肩書きを眺めてムカついている暇があったら、目の前の仕事をやった方がいい。

少なくとも、締め切りに追われるくらいまでは。