最近、CTOをはじめとしたエンジニアリングリーダーが辞めたり、長期の休暇を取ったりしているらしい。
The Pragmatic Engineer に、そんな話をまとめた記事があった。
まあ、大変なんでしょうね。
という感想で終わってもいいのだけれど、少し考えていたら、そもそもCTOって何なんだろうというところまで戻ってしまった。
僕の世代で、日本のベンチャー経営者の最も有名なロールモデルといえば、やっぱりホリエモンだったと思う。
彼はプログラマ出身の社長だった。
一方、サイバーエージェントの藤田さんは営業出身だし、楽天の三木谷さんは……なんだろう。ビジネスマンでいいのかな。
この年代からしばらく、インターネットという新しい開拓地に、インターネットの中だけで完結できるビジネスがたくさん生まれた。
そして、そこでCTOという役職も重要になった。
ちなみにCTOという役職自体は、調べてみるとインターネット企業が発明したものではない。もっと昔から製造業などに存在していたらしい。
ただ、Web企業におけるCTOには、少し特殊な事情があったように思う。
現実世界で考えてみる。
「世界一の手羽先屋さんをやりたい!」
というビジョナリーがいたとする。
そこで腕のいい大工さんにお願いして、店舗を作ってもらう。客席を作り、厨房を作り、カウンターを作る。
さて。
この大工さんを「CTO」として、手羽先居酒屋チェーンの経営に参加させるだろうか。
たぶん、しない。
ところがWebサービスには、現実世界の店舗とは違うところが二つあった。
まず、専門性が希少だった。
経営者が「こんなサービスが欲しい」と思っても、自分では作れない。作れる人を連れてくる必要がある。
そしてもう一つ。
Webサービスは継続的に改善できてしまう。
昨日作った厨房を今日作り直せる。客席を倍にできる。レジの位置を変えることもできる。明日からテイクアウト専門店にすることだってできる。
建物なら一度作れば大工さんは帰る。
ソフトウェアでは帰らない。
大工さんを何十人も雇って、毎日店を作り続けることになる。ならば、その大工集団を率いる人が必要になる。
CTOである。
ただ、ここには副作用もあったと思う。
執行役員CTO。
つまり、経営には参加しないタイトルホルダーの量産である。
もちろん執行役員でも実質的に経営に参加している人はいるので、肩書きだけで判断する話ではない。
ただ、そこには双方にとって都合のいい神話があった。
エンジニアにとっては、経営に参加しなくても、技術を極めていけばCTOになれる。
経営者にとっては、開発、保守、運用はCTOに丸投げできる。
双方ハッピーである。
たぶん。
ここで少し違う角度から考えてみたい。
そもそも、その会社にとって「技術」とは何なのだろう。
同じ言葉でも、強調する場所によって意味が違う。
「『技術で』課題を解決する」
のか、
「技術で『課題を解決する』」
のか。
前者なら、技術そのものが会社のビジョンに近い。
どの技術を使うのか。その技術によって何が可能になるのか。技術の進歩によって、昨日まで存在しなかった何を作れるようになるのか。
そういう会社では、ビジョナリーとCTOの距離はものすごく近い。
というより、ビジョナリー自身がほとんどCTOなのかもしれない。
トヨタには「所詮は車屋」という精神があるらしい。
会長は車に乗る。
車屋の経営者が「車のことは技術部門に任せています」と言っていたら、なんだか変な感じがする。
一方で、「技術で『課題を解決する』」会社は少し違う。
介護を良くしたい。
物流を変えたい。
飲食店の課題を解決したい。
その目的を達成するための手段として、たまたまソフトウェアを使っている。
この場合、ビジョナリーとCTOの距離は遠い。
それ自体は別に問題ではなかった。
ところが今、そういう会社まで「テック企業」を名乗り、「AIネイティブ」を目指している。
ここで話が噛み合わなくなる。
ビジョナリーは、解決したい課題を見ている。
CTOは、技術を見ている。
にもかかわらず、「AIによって会社をどう変えるか」という、経営と技術の境界線上にある問題を、二人で考えなければならなくなった。
これは結構難しい。
では、これからCTOはもっと経営に参加しなければならないのだろうか。
ビジョナリーはもっと技術を勉強しなければならないのだろうか。
僕は、案外何も変わらないんじゃないかと思っている。
「『技術で』課題を解決する」会社は、今まで通りだ。
技術が事業そのものなのだから、技術と経営を分離することはできない。AIが来ようが、その次の何かが来ようが、おそらく同じである。
問題は「技術で『課題を解決する』」会社の方だ。
こちらは、AIによって技術の専門性が少しずつコモディティ化していく。
少なくとも、Webサービスの黎明期ほど、「Webサービスを作れる」というだけで希少な時代ではなくなった。
そうなったとき、果たして技術を代表する人間が、Chief Officerとして経営に参加する必要はあるのだろうか。
もちろん、必要な会社もあると思う。
でも、そうでない会社もかなりある気がする。
インターネットの時代、大工さんは希少だった。
しかも、一度店を作って帰ってもらうわけにはいかなかった。
だから大工の親方を社内に抱え、CTOという偉い肩書きを付けた。
その前提が変わるのなら、もう一度考えてみてもいい。
その会社にとって、技術とは何なのか。
そして。
CTOって、本当に必要なんだろうか。
まあ、いなくてもなんとかなる会社は、結構あるんじゃないですかね。